
ちになった幸雄は、父の姿を求めて道路に飛び出し、保母さんが道行く人に、「その子をつかまえてください」と大変だったそうです。子供の気持ちを思うと、今もいたたまれない思いが甦ります。
休みには私が連れに行き、送るのはいつも主人でした。帰ってくるたびに幸雄は成長しており、とても嬉しくありがたいと思いました。ひとえに、これも学校の先生方の温かいお心があってのことでした。
中学校のある時期、国立病院に診断してもらいに行きました。本人の希望で、「もしかして手術で耳が聞こえるようになるかもしれない」と思ってのことでした。しかし結果は、「ノー」でした。
本人も納得したようでしたが、赤ちゃんのとき発熱したことを話すと、うなずいたのです。
常に心優しい子でしたから、人といさかいをするところも、親にいやな顔をしたことも、兄弟喧嘩をするところも見たことがありません。
中学から始めた野球では、キャッチャーをやり、走るのも速く、運動会では旗手もっとめました。休みに帰省すると、必ず野良仕事にもついてきます。本当に申し分のない子でした。
高校を卒業して現在、東京の日本電気に勤務しています。独身のころは車で東京から帰ってきたことが何回もあります。
平成五年に結婚し、翌年、丸々と太った男の子に恵まれ、一家三人、楽しく幸せに暮らしているようです。昨年暮れには一家そろって帰ってきました。幸雄が誕生して、私もいろいろな
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